001.地蔵坂と桜道


地蔵坂と桜道

 昭和の初めまで、地蔵坂と桜道が関外・本牧間を結ぶ幹線道路だった。それは居留地に住む外国人のために設けられた遊歩道(*1)の一部でもあった。

 1928(昭和3)年に、震災復興事業の元町隧道と桜道橋が完成して元町・麦田間を結ぶと、関外・本牧間を結ぶ幹線道路の座を奪い取る。丘越えの地蔵坂と桜道に比べて、はるかに早く楽に移動できるから。

地蔵坂

 亀の橋と地蔵坂上を結ぶ。現石川町2・3丁目と山手町との境界になる。

 地蔵坂が幹線道路だった頃は、坂の両側には商店が立ち並び賑わっていた。途中に地蔵堂があった。急坂で、荷車や人力車の上りに後押し、下りにブレーキとなる商売もあった。荷役の主力は馬力であったから、牛馬の水飲み場も設けられていた。

旧地蔵堂

桜道

 麦田町と地蔵坂上を結ぶ。現柏葉・麦田町と山手町との境界になる。

 今は気付かないが、古い絵葉書には桜並木が記録されている。他に目立った生活の記録に行きあたらない。現柏葉・麦田の往時は、牧場や西洋野菜・花卉栽培などが立地していたからだろう。

 桜道を下り始めてすぐの山手町2番地に、デンマーク人・C.ペーターセンが開業したブラフホテル(1903(明治36)年頃~?)があった。中ほどに桜道橋(1928(昭和3)年~)がある。もう少し下った所から丘上に向かって、日本最初の西洋公園・山手公園が立地している。

蓮光寺

山手隧道・桜道橋(*2)

 『山手隧道、櫻道橋の整備は、市内の復興事業でも最大級の規模である。
 山手隧道は元町と本牧をつなぐ隧道であり、震災後の本牧地区の発展を支えた。また当時の先進土木技術である大断面掘削が可能になった初期の隧道である(戦前の道路トンネルとしては最大幅員)。坑門はアーチ型の縁取りを行って全体を石貼りで仕上げ、地表面との処理は円弧で側壁を一体化されたデザインが施されている。
 桜道橋は山手隧道の建設によって山手地区にある櫻道の分断がないよう架けられた陸橋で、上路式アーチ形式の採用、山手隧道と同様に化粧石貼りにより隣接する山手隧道との景観調和が図られている。』

山手隧道緒元(*3)

 所在地 中区麦田町1-17~石川町1-39
 構造・規模 アーチ断面の道路(山岳)トンネル
 建築年代 昭和3(1928)年
 指定・認定 市認定歴史的建造物[平成13(2001)年8月]
 設計・施工[設計]内務省復興局[施工]間組

桜道橋緒元(*3)

 所在地 中区山手町~麦田町
 構造・規模 鉄筋コンクリート・アーチ橋
 建築年代 昭和3(1928)年
 指定・認定 市認定歴史的建造物[平成16(2004)年11月]
 設計・施工[設計]内務省復興局[施工]間組

  *1 「第九章 根岸地区」   *2 「関東の土木遺産」   *3 「都市の記憶 横浜の主要歴史的建造物(改訂第4版)」横浜市歴史的資産調査会

(2016年9月1日作成)

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